唐末五代宋初研究日人論著綜合目錄
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專書:
大澤正昭:《唐宋變革期農業社會史研究》,東京:汲古書院,1996年。
宮崎巿定:《五代宋初の通貨問題》,京都:星野書店,昭和十八年十一月。
堀敏一,《唐末五代變革期の政治と經濟》,東京:汲古書苑,2002。
栗原益男:《乱世の皇帝——後周の世宗とその時代》,桃源社,1979年。
栗原益男:《五代宋初藩鎮年表》,東京:東京堂出版,1988年。
牧田諦亮:《五代宗教史研究》,京都:平樂寺書店,1971年。
日野開三郎:《五代史の基調》,《日野開三郎東洋史学論集》第二卷,三一書房,1980年。
日野開三郎:《唐末五代初自衛義軍考》,福岡:著者自刊,1984年。
佐竹靖彥:《唐宋變革の地域研究》,京都:同朋舍,1990年。
論文:
阿部肇一:《唐宋転換期における禅宗史の諸問題》,《駒澤史學》10,1962年11月。
阿部肇一:《“宋高僧傳”と“禅林僧寶傳”——北宋の賛宁と德洪の僧史觀》,《歷史にぉける民眾と文化——酒井忠夫先生古稀祝賀記念論集》,国書刊行會,昭和五十七年。
愛宕元:《五代宋初の新興官僚——臨淄の麻氏を中心として》,《史林》57:4,1974年7月,第57-96頁。
愛宕元:《宋太祖弑害説と上清太平宮》,《史林》67:2,1984年3月,第207-235頁。
愛宕元:《唐末五代期における城郭の大規模化——華中·華南の場合》,《東洋史研究》51:1,1992年6月,第29-70頁。
愛甲弘志:《中晩唐五代の詩格の背景について》,《京都女子大學人文論叢》54,2006年1月,第1-32頁。
安蘇幹夫:《宋初における茶引の研究:その成果と課題》,《廣島經濟大學經濟研究論集》10:4,1987年12月,第121-141頁。
安藤智信:《呉越武粛王銭鏐と仏教——神秘への傾向性と王侯への野望》,《大谷學報》50:4,1971年3月,第28-46頁。
岸邊成雄:《周文矩の唐代宮妓合楽図について》,《東京大學教養學部歷史學研究報告》13,1967年8月;《唐代の樂器》,音樂之友社,1968年1月。
岸田勉:《五代に於ける庶民画の性格とその意義》,《佐賀大學教育學部研究論文集》7,1957年6月,第1-13頁。
白小薇:《李商隠と南唐二主》,《二松》17,2003年,第293-317頁。
坂內千里:《「書傳」考——南唐徐鍇の用法をめぐって》,《言語文化研究》36,2010年,第65-84頁。
坂內榮夫:《王棲霞とその時代——五代道教初探》,《東方宗教》72,1988年10月,第1-19頁。
板橋真一:《宋初の三説法に就きて》,《集刊東洋學》52,1984年11月,第48-61頁。
傍島史奈:《査明昊著『転型中的唐五代詩僧群体』·王秀林著『晩唐五代詩僧群体研究』》,《未名》28,2010年3月,第79-95頁。
本田濟:《五代の風気とその文章》,《梅花女子大學文學部紀要·國語·國文學》19,1983年,第1-27頁。
本田濟:《五代の風気とその文章·続》,《梅花女子大學文學部紀要·國語·國文學》(開學二十週年紀念論文集),1985年,第155-172頁。
長部和雄:《北漢の経営と五台の僧繼顒》,《神戶商科大學紀要》1,1953年,第235-248頁。
長部和雄:《五代における戦略物資統制の一つの場合》,《商大論集》15,1955年4月。
長部和雄:《五代人の教養について》,《商大論集》19,1956年12月。
川本芳昭:《崔致遠と阿倍仲麻呂——古代朝鮮·日本における「中国化」との関連から見た》,《九州大學東洋史論集》31,2003年4月,第181-204頁;中文譯本收入《崔致遠與阿倍仲麻呂——從古代朝鮮、日本與“中國化”的關聯來看》,陳尚勝主編《儒家文明與中韓傳統關係》,山東大學出版社,2008年。
川合安:《南唐の君主李昪の「税銭」制定》,《東方》190,1997年1月,第6-9頁。
川合康三:《馮道「長楽老自敍」と白居易「酔吟先生伝」——五代における白居易受容》,《白居易研究年報》3,2002年,第1-19頁。
船越泰次:《五代節度使体制下に於ける末端支配の考察—所由·節級考—》,《集刊東洋學》13,1965年5月,第29-44頁。
大澤正昭《唐末、五代政治史研究への一視點》,《東洋史研究》31:4,1973年3月,第123-131頁。
大澤正昭:《唐末藩鎮の軍構成に關する一考察——地域差を手がかりとして》,《史林》58:6,1975年11月,第928-944頁。
大澤正昭:《佐竹靖彦著『唐宋変革の地域的研究』》,《史學雜誌》100:3,1991年3月,第389-398頁。
大澤正昭:《唐末·五代「土豪」論》,《上智史学》37,1992年11月,第139-161頁。
大澤正昭:《唐末·五代の在地有力者について》,『柳田古稀』,1993年。
大澤正昭:《唐宋変革期における家族規模と構成——小説史料による分析》,《唐代史研究》6,2003年8月,第59-90頁。
丹喬二:《宋初の荘園について——成都府·後蜀国節度使田欽全の所領を中心として》,《史潮》87,1964年。
丹喬二:《宋初四川の王小波•李順の乱について-唐宋変革の一問題-》,《東洋學報》61:3·4,1980年3月,第321-356頁。
稻畑耕一郎:《「歴代賦彙」作者別作品索引稿(唐·五代·南唐篇)》,《中國文學研究》4,1978年12月,第1-27頁。
德山正人:《馮道論と五代の世相》,《史潮》45,1952年6月,第42-50頁。
東北大學中國文學研究室:《校注劉知遠諸宮調》,《集刊東洋學》5,1961年5月,第102-107頁。
東北大學中國文學研究室:《校注劉知遠諸宮調》(2),《集刊東洋學》7,1962年5月,第86-92頁。
東北大學中國文學研究室:《校注劉知遠諸宮調》(3),《集刊東洋學》9,1963年5月,第74-85頁。
東英壽:《欧陽脩「五代史記」の徐無党注について》,《文學研究》87,1990年3月,第83-104頁。
東英壽:《北宋初期における古文家と行巻》,《日本中國學會報》51,1999年,第47-61頁。
東英壽:《歐陽脩散文の特色——『五代史記』と『旧五代史』の文章表現の比較を通して》,《鹿大史學》48,2000年,第13-25頁。
杜希德:《唐末の藩鎮と中央財政》,《史學雜誌》74:8,1965年8月,第1171-1193頁。
渡邊道夫:《吳越建國の過程》,《史觀》56,1959年。
渡邊道夫:《呉越国の支配構造》,《史觀》76,1967年10月,第33-51頁。
渡邊浩司:《「新編五代史平話」のことば:『新編五代梁史平話』篇》,《言語文化部紀要》36,1999年3月,第41-59頁。
渡邊浩司:《「新編五代史平話」のことば:『新編五代唐史平話』篇》,《言語文化部研究報告叢書》34,1999年3月,第33-48頁。
渡邊浩司:《「新編五代史平話」のことば:『新編五代晋史平話』篇》,《言語文化部紀要》37,1999年9月,第87-103頁。
渡辺孝:《唐·五代の藩鎮における押衙について》(上),《社会文化史学》28,1991年8月,第33-55頁。
渡辺孝:《唐·五代の藩鎮における押衙について》(下),《社会文化史学》30,1993年2月,第103-118頁。
福井敏:《五代十國における詩僧の活動》,《文藝論叢》62,2004年3月,第153-164頁。
釜谷武志:《貫休の詩と宗教》,吉川忠夫編《唐代の宗教》,朋友書店,2000年。
冨田孔明:《五代侍衛親軍考——その始源を求めて》,《東洋史苑》29,1987年。
冨田孔明:《後梁侍衛親軍考——その構成に関する諸説の矛盾を解いて》,《龍谷史壇》92,1988年10月,第32-49頁。
冨田孔明:《五代の枢密使—その沿革について新たな考察—》,《龍谷史壇》95,1989年10月,第46-64頁。
冨田孔明:《五代枢密使に関する二論考の論評》,《東洋史苑》33,1989年。
岡村繁:《唐末における曲子詞文学の成立》,《文學研究》65,1968年3月,第85-126頁。
岡崎精郎:《中国西北史研究·五代時代夏州季氏を中心に——昭和21年度人文科学研究費補助による研究報告(要旨)》,《人文》3:1,1949年3月,第135-136頁。
岡崎精郎:《五代期における夏州政権の展開》,《東方學》9,1954年10月,第19-30頁。
岡崎精郎:《宋初における二三の禁令とタングート問題——李継遷の興起をめぐって》,《東洋史研究》18:1,1959年7月。
岡崎精郎:《宋初における夏州政権の展開と貿易問題——西夏建国前史の一節として》,《追手門學院大學文學部紀要》1,1967年12月,第17-30頁。
岡田宏二:《五代楚王国の建国過程》,《大東文化大學紀要·人文科學》19,1981年,第73-89頁。
岡田宏二:《五代楚王国の性格》,《中嶋古稀紀念》下,1981年。
岡田宏二:《唐末五代宋初湖南地域の民族問題——とくに彭氏の系譜と土家族との関係を中心として》,《東陽研究》71,1984年3月,第87-132頁。
岡田宏二:《五代楚王国の「渓州銅柱」について》,《大東文化大學紀要·人文科學》22,1984年3月,第123-143頁。
高津孝:《宋初行卷考》,《人文學科論集》36,1992年10月,第35-58頁。
高崎富士彥:《禪月樣羅漢圖について》,《三彩》161,1963年4月;
高崎讓治:《唐末五代至両宋期の財政構造の考察:租庸調と両税法の崩壊期の歳入と歳出》,《いわき紀要》19,1993年9月,第1-22頁。
高橋善太郎:《10世紀四川地方に於ける花鳥画の盛行と山水画:五代四川絵画の発展》(上),《愛知県立女子大学·愛知県立女子短期大学紀要:人文·社会·自然》10,1959年10月。
高橋善太郎:《黄筌の絵画史上に於ける地位》,《東洋史論叢:鈴木俊教授還曆記念》,1964年。
宮川尚志(Miyakawa Hisayuki):“Legate Kao P’ien and a Taoist Magician Lü Yung-chih in the Time of Huang Ch’ao’s Rebellion”,Acta Asiatica,vol.27,1974,p.75-99.
宮川尚志:《道教史上より見たる五代》,《東方宗教》42,1973年10月,第13-34頁。
宮川尚志:《唐末の節度使高駢と方士呂用之》,《中國宗教史研究·第一》,同朋舍,1983年。
宮崎市定:《讀史札記·五代的國都》,《史林》21:1,1936年。
宮崎市定:《五代史上の軍閥資本家——特に晋陽李氏の場合》,《人文科學》2:4,1948年7月,第1-18頁。
宮崎市定:《部曲より佃戸へ——唐宋間社会変革の一面》(上),《東洋史研究》29:4,1971年3月,第30-65頁。
宮崎市定:《部曲より佃戸へ——唐宋間社会変革の一面》(下),《東洋史研究》30:1,1971年6月,第1-32頁。
宮澤知之:《五代十国時代の通貨状況》,《鷹陵史學》34,2008年9月,第1-35頁。
古屋昭弘:《明·成化本「劉知遠還郷白兔記」の言語》,《中國文學研究》13,1987年12月,第13-30頁。
古原宏伸:《韓熙載夜宴圖考》(上),《國華》884,1966年1月,第5-10頁;收入氏著《中国画巻の研究》,中央公論美術出版,2005年。
古原宏伸:《韓熙載夜宴圖考》(下),《國華》888,1966年6月,第5-12頁;收入氏著《中国画巻の研究》。
谷川道雄:《北朝末-五代の義兄弟結合について》,《東洋史研究》39:2,1980年9月,第286-305頁。
谷豐信:《中国古代の紀年磚:唐末までの銘文と出土地の考察》,《東京國立博物館紀要》34,1999年,第173-271頁。
海老名俊樹:《五代宋初における勅の刑罰体系に就いて》,《立命館史學》9,1988年。
河崎章夫:《五代端明殿学士に関する二つの問題》,《史泉》3,1955年10月。
河上光一:《宋初の衙前について》,《史學雜誌》60:2,1951年2月,第26-41頁。
河上光一:《宋初の茶業·茶法》,《東方學》6,1953年6月,第18-30頁。
河原由郎:《宋初に於ける京西路の耕地の荒廃について》,《西日本史學》11,1952年7月,第23-42頁。
河原由郎:《宋初に於ける自作農育成過程にみる襄州水利田の開発について》,《史學研究》51,1953年8月,第26-39頁。
河原由郎:《宋初に於ける襄·唐二州営田務の興廃について》,《福岡商大論叢》3:1,1953年,第35-54頁。
河原由郎:《宋初に於ける陜西·涇原路特に鎮戎軍の弓箭手の興置について》,《福岡商大論叢》4:3,1953年12月,第83-151頁。
河原由郎:《宋初·弓箭手による陜西距の沿辺地の農地の開発について》,《福岡商大平和台論集》1:1,1954年11月,第171-196頁。
河原由郎:《宋初に於ける小作経営と商業資本との関連について》,《福岡大學經濟學論叢》3:3,1959年1月。
河原正博:《南漢劉氏祖先考》,《東洋學報》31,1948年。
河原正博:《丁部領の即位年代について——安南独立王朝の成立年代に関する一研究》,《法政大學文學部紀要》15,1969年,第29-46頁。
河原正博:《宋初における中越関係——太宗のベトナム出兵を中心として》,《法政大學文學部紀要》18,1973年3月,第1-26頁。
河原正博:《前黎朝と宋朝との関係——黎桓の諸子を中心として》,《法政史學》29,1977年3月,第11-24頁。
後藤基史:《欧陽脩史学再考:『新五代史』本紀を中心にして》,《紀尾井史學》24,2004年12月,第13-26頁。
忽滑谷快天:《永明延壽的宗風與其細行》,張曼濤主編《佛教人物史話》,台北:大乘文化出版社,1978年,第339-350頁。
戶田禎佑:《五代·北宋の墨竹》,《美術史》46,1962年9月。
戶田禎佑:《〈二祖調心圖〉再考》,《鈴木敬先生還曆記念•中國繪畫史論集》,吉川弘文館,1981年。
荒見泰史:《舜子変文類写本の書き換え状況から見た五代講唱文学の展開》,《アジア社会文化研究》11,2010年3月,第12-36頁。
荒木猛:《「残唐五代史演義」における黄巣物語について》,《文學部論集》91,2007年3月,第35-49頁。
吉村正一郎:《徐煕の鷺絵》,《淡交》213,1964年12月。
吉岡義信:《北宋初期における南人官僚の進出》,《鈴峰女子短大研究集報》2,1955年9月,第24-37頁。
吉田寅:《五代中原王朝の私塩対策-塩禁を中心として-》,《東洋史學論集》4,1954年。
加藤一雄:《芸術家の凝視に就いて断章:徐煕、李迪、趙昌等》,《南畫鑑賞》7:3,1938年3月。
家島彥一:《唐末期における中国·大食間のインド洋通商路》,《歷史教育》15:5•6,1967年6月,第56-62頁。
兼田信一郎:《大澤正昭著『唐宋變革期農業社會史研究』》,《上智史學》42,1997年11月,第193-197頁。
見城光威:《宋初の三司について——宋初政権の一側面》,《集刊東洋學》86,2001年,第21-41頁。
角井博:《〈二祖調心図〉(傳石恪畫·重要文化財)に付属する虞集跋の問題》,《MUSEUM》400,1984年7月。
金井德幸:《唐末五代鎮州(正定)に於ける臨済禅——鎮将王鎔並びに五台山文殊信仰との関連を中心に》,《立正史學》37,1973年3月,第1-22頁。
金井德幸:《唐末五代五台山仏教の神異的展開——海難救済信仰への推移と新羅の役割》,《社會文化史學》11,1974年8月,第29-49頁。
金文京:《劉知遠の物語》,《東方學》62,1981年7月,第66-82頁。
近藤一成:《宋初の国子監·太学について》,《史觀》113,1985年9月,第28-41頁。
井上徹:《唐末期の毛筆資料についての考察》,
井上泰也:《短陌慣行の再検討——唐末五代時期における貨幣使用の動向と国家》,《立命館文學》475-477,1985年3月,第140-185頁。
菊池英夫:《五代禁軍の地方屯駐に就いて》,《東洋史學》11,1954年9月,第19-41頁。
菊池英夫:《五代禁軍における侍衛親軍司の成立》,《史淵》70,1956年,第51-77頁。
菊池英夫:《五代後周に於ける禁軍改革の背景——世宗軍制改革前史》,《東方學》16,1958年4月。
堀敏一:《唐末諸叛乱の性格:中国における貴族政治の没落について》,《東洋文化》7,1951年11月,第52-94頁。
堀敏一:《五代宋初における禁軍の發展》,《東洋文化研究所紀要》4,1953年3月,第83-151頁。
堀敏一:《唐末の変革と農民層の分解》,《歷史評論》88,1957年9月,第2-12頁。
堀敏一:《黃巢の叛亂——唐末變革の一考察》,《東洋文化研究所紀要》13,1957年11月,第1-108頁。
堀敏一:《魏博天雄軍の歴史——唐五代武人勢力の一形態》,《歷史教育》6:6,1958年6月。
堀敏一:《朱全忠的廳子都》,收入《和田博士古稀記念東洋史論叢》,東京:講談社,1961年。
堀敏一:《朱全忠政権の性格》,《駿台史學》11,1961年3月。
笠征、張少康:《司空図和晩唐五代的文学理論批評》,《福岡大學人文論叢》26:2,1994年9月,第403-442頁。
礪波護:《唐末五代の変革と官僚制》,《歷史教育》12:5,1964年5月。
栗原益男:《唐五代の仮父子的結合の性格:主として藩帥的支配権力との関連において》,《史學雑誌》62:6,1953年,第514-543頁。
栗原益男:《唐末五代の仮父子的結合における姓名と年令》,《東洋學報》38:4,1956年,第61-88頁。
栗原益男:《鉄券授受現象からみた君臣関係について》(一),《史學雜誌》65:6,1956年7月。
栗原益男:《鉄券授受現象からみた君臣関係について》(二),《史學雜誌》65:7,1956年7月。
栗原益男:《五代宋初節鎮年表》,《史學雜誌》68:1,1959年1月。
栗原益男:《唐末の土豪的在地勢力について——四川の韋君靖の場合》,《歷史學研究》243,1960年7月。
栗原益男:《君臣間における鉄券誓約の内容について:唐朝·五代を中心として》,《史學雜誌》71:7,1962年8月。
栗原益男:《「鉄券」補考》,《岩井博士古稀記念典籍論集》,1963年。
栗原益男:《唐末五代の変革——その遡及的考察をふくめて》,《歷史教育》12:5,1964年5月。
栗原益男:《五代宋初藩鎮年表-曹州藩鎮の場合-》,《上智史學》10,1965年10月,第67-80頁。
栗原益男:《王賡武「五代華北における権力構造」1963》,《ソフィア》15:2,1966年6月,第89-93頁。
栗原益男:《五代宋初藩鎮年表-澶州藩鎮の場合-》,《上智史學》12,1967年10月,第171-177頁。
栗原益男:《五代宋初藩鎮年表-貝州·陳州二藩鎮の場合-》,《上智史學》13,1968年10月,第167-176頁。
栗原益男:《「五代」という時代》,《上智史學》14,1969年10月,第151-156頁。
栗原益男:《五代宋初藩鎮年表-宋州藩鎮の場合-》,《上智史學》15,1970年10月,第129-141頁。
栗原益男:《五代宋初藩鎮年表-安州·隨州二藩鎮の場合-》,《上智史學》18,1973年10月,第73-82頁。
栗原益男:《五代宋初藩鎮年表-晉州·金州·宿州三藩鎮の場合-》,《上智史學》20,1975年11月,第83-96頁。
栗原益男:《五代宋初藩鎮年表-鄧州藩鎮の場合-》,《上智史學》21,1976年11月,第59-69頁。
栗原益男:《五代宋初藩鎮年表-邢州藩鎮の場合-》,《上智史學》22,1977年11月,第81-92頁。
栗原益男:《五代宋初藩鎮年表-青州藩鎮の場合-》,《上智史學》23,1978年11月,第48-59頁。
栗原益男:《五代宋初藩鎮年表-涇州藩鎮の場合-》,《上智史學》24,1979年11月,第55-66頁。
栗原益男:《五代宋初藩鎮年表-耀州(崇州)藩鎮の場合-》,《上智史学》26,1981年11月,第87-97頁。
栗原益男:《日野開三郎著,『東洋史学論集 第二巻』:五代史の基調》,《社會經濟史學》48:6,1983年3月,第684-686頁。
栗原益男:《五代宋初藩鎮年表-鳳州藩鎮の場合-》,《上智史学》28,1983年11月,第119-127頁。
栗原益男:《五代宋初藩鎮年表-相州藩鎮の場合-》,《上智史学》30,1985年11月,第108-120頁。
栗原益男:《五代宋初藩鎮年表-魏州藩鎮の場合-》,《論集中国社会·制度·文化史の諸問題》,1987年。
栗原益男:《五代宋初藩鎮年表-楚州藩鎮の場合-》,《上智史学》33,1988年11月,第161-165頁。
镰田茂雄:《南唐国の華厳と禅》,《財団法人松ケ岡文庫研究年報》14,2000年3月,第67-73頁。
林傳芳:《五代南漢の仏教》,《佛教文化研究所研究紀要》13,1983年2月,第71-93頁。
鈴木隆行:《五代の文官人事政策に関する一考察》,《北大史學》24,1984年8月,第25-38頁。
鈴木哲雄:《泉州における禅宗——五代時代を中心として》,《印度學佛教學研究》24:1,1975年12月,第109-113頁。
鈴木哲雄:《雲門文偃と南漢》,《印度學佛教學研究》33:1,1984年12月,第90-95頁。
鈴木正弘:《『五代史記』の一行伝について》,《立正史學》94,2003年,第39-55頁。
劉恆武:《五代呉越国の対日『書函外交』考》,《古代文化》59:4,2008年3月,第560-571頁。
柳田節子:《エドワード·クラッケ著「宋初の文官」》,《史學雜誌》63:4,1954年4月,第365-368頁。
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